2011年5月6日金曜日

石巻へ行って来ました

非力な50過ぎのおばさんに何ができるんだろうか…
報道では泥かき、家具だしなどの力仕事ばかり…
とても不安なスタートでした。
日連のボランティア登録をひょんなことからすることになり、
(ある人とのメールのやりとりからの勢いと息子に背中を押されての登録でした)
その後は、日連からの作業可能日登録のメールをいただいて、
あれよあれよと言ううちに石巻へ出掛けることになっていました。
出発直前には
「ゴールデンウィーク、ボランティア過剰、受入を断っている」の報道。
私なんかより、力の有る方々の参加の方が…と
ますます不安をかかえて出発。
名古屋から高速バスに乗り込んで仙台へ。
仙台で乗り換え一路石巻へ。
報道で得る知識しかない私は、
まだまだ石巻は悲惨な状態しか想像していなかった。
ところが飛び込んで来た景色には、
まだまだがれきが道端に山積みにはされているが、
開業しているイオンその他のショッピングセンター、
すきやなどのファーストフード店…。
駅前にはタクシーも…。
ほんとうに報道というのは一部しか映し出されていないのだと、
身を以て知らされました。
まあ、2km弱のこと歩けば…と
とぼとぼと歩いていると、
さすがにこの格好…、
ボランティアとすぐにわかるのか…、
街の方々から「ご苦労様」の声。
報道でなんだか東北地方の方たちって暖かいな…とは感じていたものの…、
嬉しい反面、自分に何が出来るのだろうか…と益々不安がのしかかる。
途中、道に迷いながらも
なんとかBS石巻ベースのある水押球場へ到着。
おそるおそるテントをあけると…。
「ご苦労様!」の声に始まり、
そこにはいつものメンバーが…
(もちろん、そこにいる方々は初対面の方々ばかり、
でも、いつもこの活動
会ったその時から、従来の仲間のようです)
まるでジャンボリー会場にやってきたかのようでした。
そして、4日間
各家庭の片付け、石巻第6団の備品片付けなどなどの作業を行いました。
訪れた家庭の地域は、
報道で知らされているあの状況でした。
まわりには全壊状態の家も多々。
泥の層に畳・家具などが折り重なり、
何から手をつけてよいのか…状態です。
おそらく
依頼者の方もまだ家に入れず、
なにから始めてよいのか…状態と、
ボランティアの人が来てくれたと言え、
一体何ができるんだろう…と気持ちではないか…
一応、依頼事の確認はするが、少し様子見状態。
一方、私たちは
それは、素晴らしいチームワークと人海戦術で、
道を切開き、周りの物を片付けて行きます。
大切そうな物がでてこれば
依頼主に「この品物とっておかれますか?」と
ひとつひとつ丁寧に声かけを…。
その様子を見てか…、
依頼主の家族の方も
そのうちに親子協力して家の片付けを一生懸命されていました。
休憩時間には飲み物の差入や炊出しのお裾分けまで…。
他の場所へ作業にいっていたところでは、
カレーをつくってくださった家も…。
一緒に住んでいたお姉様が入院中で、どれを片付けてよいかわからず、
思う様に片付けがはかどらなかった家のご主人に、
申し訳ない気持ちで、その家を後にしたのですが、
後でわざわざ、笹かまを届けて下さったり。
ほんと、ひとつひとつの気持ちの温かさに涙のでる思いです。
あれだけ片付けても、
おそらくあの家には住めないのでは…、
住むためにリフォームしなければいけないのなら、
片付けも一緒に業者がしてしまえば早いのでは…とも
作業を始めた頃は どこかによぎっていましたが…。
この4日間の作業に関わらせていただき、
そうではない、何かを感じました。
これは私が感じた
あくまで私の気持ちですが…。
あの状態を受入れる事もできず、
一歩前へすすむことができずにいた被災者のみなさんが、
私たちボランティアが、
一生懸命 みんなで協力して片付けている姿を見、
そして、想像もできない状態が少しずつ片付いて行く光景を見、
何かをすれば
少しずつでも前へ進んで行くんだ
日本中の皆が
いや世界中の皆が
自分たちとともに一歩前へ進もうとしているんだと感じ、
一歩を踏み出す きっかけ作りになっているのでは…と。
自衛隊や医療関係者、その他の方々の様に
専門的で大きな仕事はできないけれど、
被災者の皆様とともに手を取り合い、
復興への道を歩む事のお手伝いもできるのだと、
実感させていただきました。
そして そのお手伝いができるのが
「ちかいとおきて」を身につけて来ている
私たちボーイスカウトの素晴らしさだと…。
依頼主のご主人(後列中央右)と奥様(右端)の力強く「頑張るぞ!」とあげられたこぶしが印象的です。そしておばあちゃまの笑顔が…

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